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当サイトの趣旨 about
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(April 29, 2005) The purpose of this Site is to let adult ESL learners improve their communicative skills and of developing strategies via using authentic MEDIA materials. 学校で「訳読」メソッドを通して英語を学んできた英語学習者(大人)の方たちに、authentic(真性)なメディア教材を使って、コミュニケーション・スキルを学ぶことの楽しさを知ってもらいたい、というのが当サイトの趣旨です。 日本の英語教育は長い間「訳読」に見られる「文法」を中心としたもので、authentic(真性)なコミュニケーション・スキルの習得環境は殆どありませんでした。(詳しくは下記の「Yakudoku 訳読(Grammar-translation method)からの開放」をお読みください。) こうした状況に長年置かれてきた大人の英語学習者が、過去の苦い経験から抜け出し、楽しく、日常生活のレベルで、コミュニケーション・スキルを身に付ける攻略法(strategy)を模索していくことをぜひお勧めします。 Strategyとは、オックスフォード教授が言うように、能動的・自律的に(他人にコントロールされない)自ら創り出していく、スキル修得にむけての一連の行動を指します。 The Japanese classroom has been strongly grammar-oriented with a dominance
of grammar-translation methods, which made it difficult for students
to acquire appropriate communicative skills. Materials typically used
in the classroom are standardized texts, which do not give much authentic
input to students and feedback is rarely given by anyone besides the
teacher. 目次 |
| 1 | Yakudoku 訳読(Grammar-translation method)からの開放 | (June20, 2004) |
| 2 | メデイア教材について | (April 29, 2005) |
| 3 | 映画を教材としたautonomous learning(自学自習) | (2003) |
| 4 | 映画のセリフを使って英語を勉強しよう | (2003) |
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Yakudoku 訳読(Grammar-translation method)からの開放 (06/20/04) 既に学校教育を終えて、改めて、実際に役に立つ英語を身につけようとしている方達へのアドヴァイスは、まず最初に、学校時代数年の長きにわたって知らず知らずのうちに身につけてきた「訳読方式」から開放されよう、ということです。「authentic & autonomous」(実際使われている英語との主体的な関わり)を基本とする語学修得にとって、色々な側面でこの「訳読」方式が、学習者の方達の前に、見えない壁となって立ちはだかっているように感じられるのです。 伝統的な「訳読」(Grammar-translation method)は「コミュニカテイヴ・アプローチ」が推奨されて久しい現在でも、主導的メソッドとして実際の教室で行われているのが現状のようです。「訳読」メソッドの基本は「英語⇔日本語 の対訳」で、そこで生徒達に求められるのは、端正で正確な日本語訳(正解)です。「訳読」に象徴されるEFLの現場、それはあくまでも教師主導によるクラス風景で、そこで教えられる英語は、教師の認識する日本語世界から導きだされてくるもの、つまり「訳読」は端的に言えば英語を使って正しい日本語文章を形成する、という日本語教育の一環のようなもので、英語修得には殆ど効果が無いと言わざるをえません。そして生徒の「英語能力」の評価は、ペーパーテストを通じて「客観的に」判断されます。生徒の自由で主体的な英語との取り組みはここでは見られません。 「訳読」の実践現場では、「単語の意味」を書かせる場面もありますが、実際、よく考えてみれば、孤立した単語の意味を書くなどということは殆ど不可能に近いことです。単語の意味は使われるコンテクストによって無数に変化します。文法もそうです。実際のコミュニケーションでは、単語、文法をどのように使って相手に自分の言いたいことを告げるか、ということのカギは、表現者の持つ孤立した文法力、語彙力にあるのではなく、デイスコースそれ自体の中にあるのです。 また、「訳読」で使われる教材はいわゆる「文法的に正しいとされる英語」(例えばR.P.)で、日常あたりまえのように使われているコトバは教材として不適当であるという理由で使用されません。 学校や職場、近所で、皆がうちとけてスラング交じりのラフな会話を楽しんでいるとき、会話に加わりたい私達が、それでもBBC英語に固執するとは思えません。違和感のないラフな英語で皆に加わり楽しむでしょうね。 タブー語。いわゆるダーテイーワードですが、日本の教室では、絶対に教えません。教養ある人間の話す言葉ではないというのが理由です。ところが、たとえば教養も社会的地位も分別もあるニューヨーカーたち、普段はいわゆる知識階級の使うクリーンでクリアーな英語を流暢に使っていますが、プライベートで不毛な口論に突入してしまうような羽目に陥った場合、素早くこのダーテイーワードをマシンガンのように連発して相手を打ちのめそうとする。これが現実です。ハリウッド映画でもたまにこんな光景を見かけますよね。 知らないということは相手が使ってきたときにお手上げになってしまうということです。 言語は人の存在を規定する概念ではなく、人と人とのコミュニケーションの道具であると考えるなら、やはりここは学校で教えられた「(正しい日本語の対訳としての)正しい英語」という、訳読メソッド特有の固定観念から開放されて、様々なコンテクストでの言い回しを貪欲に吸収し、「the trick of communication」を自由な気持ちで積極的に身につけていきたいものですね。それには例えば映画のセリフが役立ちますね。なんといっても、楽しみながら、日常の中で英語圏の生活を体験できるのですから。 In the Japanese ESL environment, where a yakudoku method is dominant, students have difficulty acquiring sophisticated knowledge of L2 syntax in relation to lexis that flexibly expresses meaning in context. Yakudoku is an operating system that assumes each Japanese word is equivalent to a corresponding English word, and that every L1 term can be translated into a fixed L2 expression without surplus or shortage. The typical Japanese school accepts ESL teachers, who can logically think and write in Japanese in well-educated manner, even if they can't communicate well in English Currently, the Ministry of Education insists that ESL teachers should focus on a communicative approach and also to employ new teachers, who can speak fluent English. But the change in overall focus from grammar to communication has not widely affected contemporary classroom situation. Though regardless of the Ministry of Education's vision of in the future of English education, a basic way to improve the current situation involves individual English teacher's efforts to develop their own communicative skills. Japanese ESL students need to be aware of the danger of thinking of syntax as a system independent from contextual meaning. and of various ways of expressing meaning using different grammatical forms.Linguistic possibilities as options in meaning should be realized in grammatical form and lexical selections. For the adult learners, steps to liberate themselves from the influence
of yakudoku method and to acquire communicative skills were the most
important. Adult learners who have undergone a systematic education
process hardly make drastic change in the ways of learning. This was
typical for the participants of the study at earlier stage. They had
learned English by yakudoku method that they strongly believed to be
an appropriate way of learning and made them "good" English
user with accurate grammar. (2004年6月20日 管理者 profile ご意見はこちらへ(メールアドレスから「spam」を除いた宛先にお願い致します)
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メディアを素材とした教材の独自性と真性について。 1. メディアを素材とした手創り教材に内在する独自性について あるメディアを素材として教材を創りはじめようとする時、教師は既に、極めて個人的なレベルでそのメディア素材に触発されています。と同時に、当該教材のクラス・アプリケーション(教室での適用)に至るまでの漠然としたイメージをも描き出しています。このように、生のメディア素材−(映画、音楽、文献など)−を拾い出して教材に仕立てあげ、教室で使用するという総合的過程において、当該教材に、教師自身の生身の人間性が深く浸透して行くのです。この一連のプロセスが、手創り教材の中に有機的独自性を内在させて行く鍵となっています。 これに対して、既存・市販教材には、質的にも、クラスでの適用においてもこの意味での独自性は無く、かえって無機的なよそよそしさが感じられます。この意味で言えば、たとえばあるメディア素材をまるごと持ってきて、それを昔ながらの『穴埋め』や『聴き取り』の練習に使っているだけの学習方法も同様です。 The media resources, from which a teacher is going to make teaching
materials, have already inspired him/her on a personal basis. It means
that when a teacher makes teaching materials from authentic resources,
such as movies, songs, or literature, this process itself involves the
teacher's personality besides his/her educational motivation. So, to
use it in class means a teacher transmit his/her own individuality besides
his/her educational passion. And also, the teacher should be much more
keenly involved into the way of using these materials than using ready-
made ones.
真性の素材(イングリッシュ・ネイティヴな文化圏で日常に使用されているメディア)は、クラス内で教師が使用する時点で、真性度を薄めてしまう場合がしばしばあります。それは例えば、英語で書かれた文献を「グラマー・トランスレーション・メソッド(訳読)」で使う場合です。このときには教師の手によって、英文が故意に文法体系に沿ってばらばらで無機質なかたまりに分解させられ、本来その英文が書かれた目的(読者との対話)が学習者に伝達することなく消滅してしまうのです。 メディアを教材として使用する段階で、このコミュニケーションのために発せられた言語、という本来の目的をないがしろにして「形」(文法)のみに注目してしまうからなのです。 そこで、メディア教材の"真性”は、クラス内で使用されたときに「内容」と「文法」への注目度がバランスよく配慮されてはじめて実現され得るのです。内容と文法との両方に気を配りながらも、あくまでも「本来的に内容重視」「内容中心の」「具体的内容に着目した」クラスでの教材使用が望まれます。 Authentic materials sometimes turn into non-authentic while a teacher
is using these in classes. For example, I usually use literature in
a prep school, in grammar translation method. Here, literature (basically
authentic) is broken into pieces only to become the great lump of grammar
system. (2005年4月29日 サイト管理者 **************** (2003年記) 映画を観るという、楽しくて快適な行為が、英語習得にとても役立つなんて、果たして本当でしょうか?答えはなんと、Yes! なんです。(^o^; それは、まず第一に、ただ映画を観ているだけで、私たちは様々な種類の英語(方言、スラング、民族や階級的特色を持ったコトバなど)を、様々な文脈及び文化的背景の中で耳にすることが出来るからです。 コトバが文化的環境の中でどう刻々変化しどう機能しているかを直感するのは、そのコトバを使って人とコミュニケートしようとするためにはとても大切なことなのです。 :**関連ページ Expressions Idiom & Learning また、映画を観て、好きなタイプの監督とか俳優とかが出現すると、その人のバックグラウンドなどをもっと知りたくなりますよね!この好奇心が、英語習得にとても役立つのです。さっそくアメリカのムービーサイトに行ってみましょう。個別の映画、スタッフ・キャストに関する情報、インタビュー記事、製作ノートなど、知りたい情報がいっぱい詰っています。また、毎日の映画ニュースもチェックしてみましょう。ひょっとして、自分が知りたい映画や俳優の記事が載っているかもしれません。英語の記事は、最初は読めなかったり、読めても部分的だったり、すごく時間がかかったりするかもしれません。でも習慣として続けているうちに、びっくりするほどリーデイング能力がアップした自分を発見することになるでしょう。 **関連ページ what's new check it out! Other Resources すこしリーデイングに慣れてきたら、アメリカムービーサイトのメッセージボードに投稿されているMovie Reviewを読んでみましょう。映画を観た後で感じる、他の人たちがどんな感想を持ったのか知りたくなる気持ちが、このメッセージボード上で満たされるし、さらに、Movie Review をリアルタイムで読むことは、日常的文化を知るという意味で、とても有意義な英語学習に通じるのです。世界中の場所から、さまざまなEnglish native speakers、男性、女性、高校生から年配者の方たちがを書いてくれている映画批評を、一緒に会話しているようなのりで読んでみましょう。どのメッセージがより印象的に自分の心に響いたか、検証することによって、経験的に、効果的な文の書き方をも学ぶことができます。 **関連ページ Movie Index 最後に、自分で書いた、英語のMovie Review を、Message Board に投稿してみましょう。 **関連ページ Movie Index Message Board(英語) ちょっと専門的な話になってしまいますが、Beyond Culture (1976)という著書の中で、著者のHallが、law- context
cultureとhigh-context culture に関する定義付けをしています。それによると、日本語はハイコンテクストカルチャーで、会話をする際にも、細かいところ隅々まで伝えるというわけではありません。曖昧、抽象的な表現であっても、互いの内面の知識を信頼し、少ない言葉の奥に潜んだ意味を聴き手は察することができるとしています。 様々な人が生活するmelting pot としてのアメリカ。ロウコンテクストカルチャーの概念は、実際に英語を使ってコミュニケートしてみる段階で、実感として理解できるでしょう。 このページを読んでくださっているあなたも、これらの映画を使った練習を試してみませんか? Work shop のページをみれば、どんな風に試してみれば良いのかわかります。 ** workshop へ! 英語を習得する目的はただ一つ、英語を母国語とする人たちとも、日本語を使って暮らしている人たちと同じように会話し、自分の考えを伝え、相手の考えを理解することです。 |
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| (2003年記) いわゆる正規の授業での勉強とはまた別に、映画のセリフを聞きながら、使える言い方や、おしゃれなせりふをこっそり自分のものとして身に付けてしまう。つまり手軽で身近なauthentic material(ほんものの素材)を使ったindependent learning(独学)の進めなんですが、こんなことを一緒にやってみませんか?、(Acquiring English by movie materials in addition to learning in formal classroom)。 この独学は、ただ単にいつでもどこでも楽しみながら学べるというだけでなく、Native speaker(英語を母国語とする人たち)と違和感なくコミュニケートするためのコツ、というかヒントのようなものをおのずと与えてくれます。それはなぜでしょうか? まず第一に、映画のセリフは、実際に生活の場面で話されているごく自然なコトバであるということ(authentic material)。これに比べて教室で使う教材は、効率的(また文法本位)に学習させるため、意図的に作成された内容である、つまりartificialである場合が多いため、実際の会話に全く違和感なく溶け込める内容というわけではありません。 第二に、映画のセリフは、会話の状況、話し手の表情、そしてイントネーションやポーズ、繰り返しなど、コトバがその時々の状況で (in context)
実際に意味する内容、微妙なニュアンスなどを総合的に提示してくれます。教室の教材ではなかなか得られない特性です。 例えば、「Home Fries」という映画の中に、"Yeah, that's what you wanted woman." (それはあなたの望んだことだったんでしょう。)というセリフがありますが、このセリフは上昇のイントネーションで言われているため、「不確かなので相手に確認してみる」意味合いを持ちます。が、これがもし下降のイントネーションで言われたなら、「それが確かなことであることを相手に確認し、曖昧な態度をとっている相手を、暗に非難したりする」意味合いを持ってきます。このような微妙な意味合いの相違は、コミュニケーションの最中、互いの真意を理解しあう上で、とても大切なこととなってくるのです。 第三に、実際の発音を聞くことができます。例えば、「I saw him.」という簡単なことばでも、実際に話されるときには、「him」はたいへん聞き取りにくく、「え?何を見たの?」というような感じで会話がとぎれてしまう場合も多々あります。(何故なら、われわれ日本人はNative speaker と話していて、聞き取れない場合、聞き返して確認することがあまりなかったりしますので。) このように聞き取りにくい音節(Syllable)の強弱は、日本語と異なる英語の発音のリズムの特徴(stress−timed)と関係しているのですが、映画のセリフなどで実際の発音例をコンスタントに聞くことによって、リスニングのコツや自分が発音するときのコツを身につけることができます。教室では、こうしたphoneticsの面まで同時に身に付けてしまう、というのはなかなか難かしそうです。 第四に、映画では、さまざまな英語(class& ethnicity, etc)が話されています。実際の社会でのように。 *─"NY
is a melting pot! (Deconstructing Harry) 以上、思いつくまま簡単に述べてしまいましたが、これだけでも「映画で英語を知る」メリットがおわかりいただけるかと思います。
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一口にEnglishといっても、厳密に言えば、さまざまな種類のEnglishが存在します。例えば国によってBritish English, American Englishなどの違い、また同一国内でも、地域によってNY English とその他の地域との違い、さらに同じNYにおいても、社会的階層による(upper class, middle classなど)違い、さらにまた同一地域、同一階層のなかでもethnicity(Hispanic,African Americanなど)による違い。等等。これらは事実として異なるのであって、価値判断の基準として存在しているのではありません。 また人々は、これらさまざまなEnglishを事実として使いこなせても、自分自身の価値判断によって、solidality(周囲との一体感)、あるいはIdentity, authenticity(自己同一性、真性のようなもの)と照らして日常の使用言語を選んでいきます。 例えば、仲間内では絶対に自分達特有の言い回しで話すとか、好ましく思う他グループと会話するときは彼らの話し方の特徴を受け入れるが、気にいらない他グル−プと話すときは故意に自分達特有の話し方を強調するなど。 こうした日常的な使用言語選択は、どこの国でも見られますね。尊敬する人には思わず敬語を使ったり、もっと親しくなりたいと思う友人には、徐々に苗字から名前での呼びかけに切り替えてみたり。自国語のことであれば、ながいこと社会に生きていれば自然に身につきますが、他言語つまり「英語」となると、これを自然に身に付けるには結構大変です。 こんなとき、映画のセリフが強力な味方になると思うんです。アメリカの、NYの(あるいはL.A.の、またはイギリスのロンドンの)生活がまるごと画面に映し出され、場面場面に応じた会話が目の前で展開していくのですから。 例えばウデイー・アレンの映画を観ると、NY言語の特徴がとりわけ誇張されているのが良く分かります。ハイピッチ、繰り返しなどの音声的な特徴以外でも、sarcasm(皮肉、あてこすり)とself revealing(自己露出)とself mockery(嘲り笑う)などなどsophisticate(洗練)された会話術とともに、同じテーブルについていながらそれぞれが勝手なことを早口で喋りまくるというような可笑しさが強調されます。他の、どちらかというと保守的な地域や家庭ではこういう風景は殆ど見られません。 他にも、例えばアフリカン・アメリカンの登場人物が突然現れ、ブラック・イングリッシュでラップのようにまくし立て、周囲を煙に巻く、というようなコトバによる「受け」を狙ったシーンなどもありますね。 例をあげていけばきりがありませんが、とりあえず、コトバを意識しながら映画を観てみてください。これは結構新たな楽しさ発見になること間違いなしです。そして、それと同時に、知らないうちにリスニング力が飛躍的に伸び、それに伴って英語で話す能力も徐々に向上していくならば、こんな良いことはないですね!
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